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空の神兵

No. 46

 

平成31年2月14日(木) 曇り

 

 

 

 

2月14日と言えば

 

「パレンバンデー」

 

 

 

「バレンタインデー」

 

の間違いでは?

 

 

 

いえいえ決して間違えた訳ではありません。(^^)

 

 

 

昭和17年2月14日

 

日本にとって歴史的な奇襲作戦が展開された日ですが

 

多くの人は知らないのではないでしょうか?

 

 

インドネシア・パレンバンの空に

 

約330個の落下傘が開き

 

敵陣の真っ只中に

 

若い日本兵士たちが飛び降りたのです。

 

 

オランダ軍の重要拠点である

 

飛行場や製油所を陥落させる為です。

 

 

落下傘部隊は無防備のまま

 

地上から狙い撃ちされる

 

極めて危険な戦闘方法で

 

実際、

 

外国では5~6割の死者を出しています。

 

 

それでもこの時の日本兵の死者は

 

1割程という奇跡的な数値だったそうです。

 

 

パレンバンでの戦いは

 

「大東亜戦争」における

 

重要な位置づけを占めていました。

 

 

開戦前、

 

欧米列強による経済封鎖により

 

石油をはじめとする多くの資源が不足したことが

 

開戦の要因になったことは周知の事実です。

 

 

決死の奇襲作戦により、

 

約24時間でパレンバンの飛行場と製油所を制圧し

 

当時の日本の年間消費量の6割にあたる

 

約300万トン石油を確保しました。

 

 

 

ところで、12世紀前半、

 

東ジャワのジョヨボヨ王が書き残した

 

『バラダユダ』という民族抒情詩にこのような一節があります。

 

 

 

「我らが王国は、白い人々に支配される。

 

彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。

 

この白い人の支配は長く続くが、

 

空から黄色い人がやってきて、

 

白い人を駆逐する」

 

 

 

350年間にわたって

 

オランダの過酷な支配を受け続けてきた

 

インドネシアの人たちは、

 

落下傘部隊とこの詩を重ね合わせ、

 

日本人兵士を

 

「空の神兵」

 

と称えたのです。

 

 

 

 

致知2018年6月の致知随想に

 

このような記載がありました。

 

 

 

そしてすぐに購入したのが

 

 

なぜ大東亜戦争はおきたのか?

 

インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録

 

空の神兵と呼ばれた男たち

 

 

 

以下、

 

あとがきより一部抜粋

 

 

 

歴史と伝統を持つ皇国は、

 

かつて、

 

アメリカによって国家滅亡の危機に追い込まれた。

 

 

日本を戦争へと追い込んだ

 

『狂人』(フーパー大統領の形容)こそ、

 

アメリカ大統領のルーズベルトだった。

 

 

日本は最後の最後まで、

 

和平が成ることを信じて

 

アメリカと交渉を続けた。

 

 

戦争を望んでいたのは米・英両国。

 

平和を求めていたのは日本だった。

 

 

大東亜戦争は、侵略戦争ではない。

 

自衛戦争であり、

 

同時に植民地支配を受ける

 

アジアの有色民族の

 

独立を期したものだった。

 

 

多くの若者が、命を賭して戦ったのである。

 

 

平和は尊い。

 

かつての日本は、

 

対米交渉で、平和を最後まで求めた。

 

それにもかかわらず、

 

追い詰められて戦端を開くこととなった。

 

 

我が父祖たちが、

 

命を賭して守ろうとしたものが何であったか。

 

読者の皆様と共に、

 

再考してみたい。

 

 

”右”とか”左”とか

 

そんなのは関係なく

 

もっと歴史を学ばないといけませんね。( ̄ー ̄)

 

 

 

 

いつも長原整骨院のブログをご覧いただきまして

 

ありがとうございます。m(__)m

 

 

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