No. 99
令和元年5月9日(木) 曇り
今回は論語です。 (^^)
「雍也第六」 編 より
名古屋のSさんから論語を学んでいますが
ひとつの章句に対して
30以上の論語の解説本から
それぞれの解釈文を並行して
解説していただいています。(^^)
今回は
「雍也第六」 編
二十七、
子曰、君子博学於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。
子曰わく、君子は博く文を学び、之を約するに禮を以てせば、亦以て畔かざるべし。
先師が言われた。
「君子は博く典籍を学んで知見をゆたかにし、
これをひきしめるのに礼を以てすれば、
人の道にそむくことはないであろう」
「博文約礼」の語を生んだ章句です。(^^)
名古屋のSさんが
30以上の論語の解説本から
解釈文を並行して載せていただいていますので
解釈の仕方もいろいろです。
なにせ元の文はこれだけですから (^^)
子曰、君子博学於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。
いろんな解釈の仕方があって当然ですよね。 (^^)
私が理解しやすかったのが
吉田賢抗先生の『新釈漢文大系 論語』の解説です。
孔子の学問論は、
ひろい知識、教養を必須のものとするが、
これを現実化して
その時代に合わせなくては何にもならない。
孔子の理想はあくまで人となることである。
人として正しい人、
立派な人とならなくては、
博学も深い教養も、円熟した技術も
何等価値のないものだ。
ここに博文約礼を理想とした孔子の君子論が成立する。
とあります。
そして
小林一郎先生の『経書大講』の解説です。
博学であっても、
結局役に立たない学問をしているならば
何のために学問をしたか
解らないことになるのであります。
そこで「之を約する」ということが必要である。
約するというのは、
その急所を捉まえて、
大事な所を採って
これを実行することである。
それには何を標準にするかといえば、
いわゆる
礼ということを標準にすべき
であります。
礼というのは礼節であって、
即ち
「宜しきに適う」
ということが即ち礼である。
博く学んで、
その大事な所をしっかり捉えて
その精神をもって
世に処し人に対する
というように努めていけば、
学問をした甲斐があるのであります。
やはり行動することが大切ですね。
「知行合一」 を
肝に銘じます。(^^)
「博文約礼」
言葉は知っていても
内容はよくわかっていませんでしたので
少し理解することができました。 (^^)
いつも貴重な学びを与えてくださる
名古屋のSさんに感謝いたします。m(__)m
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
ありがとうございます。m(__)m