No.471
令和7年9月25日(木)曇り
9月も終わりに近づき
ようやく涼しくなってきました。
今年の夏も猛暑でした。
それが9月も続くとは、、、(T_T)
これからは
春と秋の過ごしやすい季節は
短くなってしまうのでしょうね。
今回は久しぶりに論語から (^^)
論語の師・名古屋のSさんから
学んでいますが
講義形式ではなく、
ひとつの章句に対して
40冊以上の解説本の中から
わかりやすく
多角的に理解を深めやすいように、
解説して頂いています。
『論語』全512章を
1章も飛ばさずに
ひとつずつ丁寧に
学んでいきます。
参加者のコメントにも
学びがたくさんあります。(^^)
今回は憲問第十四編より
三十七番目の章句
私が理解しやすかったのは
伊藤仁斎先生の解説です。
「天が知る」とは、
いったいどういう意味であるのか。
天とは、
特定の意思や感情を持たない。
無心の存在である。
ただし、
天は人びとの
「まごころ」や「正直な心」を
そのまま自らの心とするものである。
人が正直であれば、
誰もがそれを見て喜び、
誠実であれば、
誰もが信頼を寄せる。
また、
道理にかなった言葉を語れば、
どんな人でもそれに納得し、
従わざるを得ない。
これは、
天下の誰もが認める
普遍の真理(=公是)であり、
人の心が自然と
「その通りだ」
と感じることである。
孔子が自ら楽しみとしたのは、
まさにこのように、
万人が「それが正しい」
と思う道に自分も従っている、
ということにほかならない。
だからこそ、孔子は
「私を、理解してくれる者がいるとすれば、
それは“天”であろう」
と語ったのである。
この道理は、
どれほど磨かれてもすり減ることがなく、
どれほど打ち砕こうとしても
壊れることはない。
たとえ孔子が生きていた当時には
世の中に認められず、
その教えが広く知られることが
なかったとしても、
千年後には必ずや
これを理解する者が現れるであろう。
これこそが、
聖人・孔子が自らの教えを信じて生き、
心から楽しんでその道を貫き、
最期まで安らかに
人生を終えることができた理由である。
何事も
小さなことをコツコツと
積み上げることが大切ですね。
天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す
覚えておきたい言葉です。
いつも貴重な学びを与えてくださる
名古屋のSさんに
心より感謝いたします。m(_ _)m
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
ありがとうございます。m(_ _)m