No477
令和8年2月24日(火) 晴れ時々曇り
ここ数日、
かなり暖かくなりました。
朝晩はまだ寒い日も多いので
寒暖差で体調崩さないよう
ご注意下さい。m(_ _)m
今回のブログは論語です。(^^)
論語の師・名古屋のSさんから
学んでいますが
講義形式ではなく、
ひとつの章句に対して
40冊以上の解説本の中から
わかりやすく
多角的に理解を深めやすいように、
解説して頂いています。
今回は衛霊公第十の五番目の章句より
子 曰わく、
無為にして治むる者 は其れ舜なるか。
夫れ何をか為すや。
己を恭しくして正しく南面するの み。
子曰、 無 為 而 治 者 其 舜 也 與 。
夫 何 為 哉 。 恭 己 正 南 面 而 已 矣 。
伊與田覺先生の仮名論語の訳では
先 師 が 言 わ れ た 。
「自 ら 政 務 に 当 た ら ず に 、う ま く 天 下
を 治 め る こ と が で き た の は 、
ま あ 舜 だ ろ う か ね 。
で は 舜 は 何 を さ れ た の か と い え ば 、
お 身 を つ つ し ま れ て 、
真 南 に 向 い て お ら れ た だ け だ 」。
多くの先生の解説によると
ここでの無為は
怠ける・放置する という意味ではなく
『私欲で余計なことをしない』
『人の上に立つ者としての”徳”が
自然に政治を動かす』
という、
徳治政治の理想像だと思われます。
自分から権力を欲しがらず
人格と徳によって天下を任された
理想の聖王とされています。
恭しく:慢心せず、自分を律する
正しく:道義に外れない
南面:君主の正式な統治姿勢
(臣下は北を向く)
統治の本質は「命令」や「操作」ではなく、
為政者自身の姿勢そのものにある
という思想です。
この章句は、
「人を動かす前に、自分が正しく在れ」
という、
孔子思想の核心を
理想的リーダー像を通して語った
言葉と思われます。
「指示しなくても人が動く組織」
「姿勢が空気をつくる」
という解釈で
私がすぐに思い浮かんだのが
ラグビーの試合。
今は戦術的な選手交代も認められ
リアルタイムで映像分析をして
監督・コーチ陣が
指示をすることが普通ですが、
以前は
選手交代が出来るのは
負傷退場の場合のみ。
戦術を指示するのも
ハーフタイムの時だけでした。
一度キックオフの笛が鳴れば
キャプテンを中心に
選手のみでゲームを進めるしか
ありませんでした。
日頃の練習の成果を得る為に
個々で考え
指示しなくても人が動く組織
でゲームを進めていきます。
ここで言う無為は、
「何もしない」
「放置する」
という意味ではなく
むしろその逆で
余計なことをしない
私欲で人を動かそうとしない
自分自身の在り方を正す
そうすることで、
自然と周囲が整っていく。
それを理想の統治だという。
私はどことなく
ラグビーの精神
ONE FOR ALL ALL FOR ONE
に通ずるものがあるなぁー!
と勝手に感じました。(^^)
整骨院の現場でも、
同じようなことを感じます。
身体は本来、
”回復する力”
”バランスを取る力”
を自分で持っています。
しかし、
力みすぎ
我慢のしすぎ
間違った使い方等々、
こうした
「余計なこと」
が続くと、
身体はうまく回復できません。
施術で大切なのは、
無理に治そうとすることではなく、
自ら回復する状態に戻すこと。
姿勢を整え、
緊張をゆるめ、
身体が
「正しく南面できる」状態をつくる。
すると、
あとは身体が勝手に働き始めます。
論語のこの章句は、
「上に立つ者の姿勢が、すべてを決める」
と教えています。
これは施術者である私にも言えることです。
技術を誇らない
無理に変えようとしない
目の前の身体に敬意を払う
その姿勢こそが、
結果として
いちばん身体を変える
ことになるのかなと思います。(ー_ー)
何かを足すより、
余計なものを引く。
操作するより、
整える。
論語の言葉は、
2000年以上前の政治論でありながら、
現代の身体のケアにも、
通じるものがあると感じます。
いつも貴重な学びを与えてくださる
名古屋のSさんに心より感謝いたします。
m(_ _)m
「無為にして治む」
身体も、
人生も、
案外その方が
うまくいくのかもしれません。(^^)
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
ありがとうございます。m(_ _)m