No.496
令和8年7月22日(水) 晴れ
今日も暑い日になりそうです。
熱中症警戒アラートが
発せられる地域も多いので
注意が必要です。(+_+)
前回、
論語の衛霊公第十の21番目の章句
子曰く、君子は諸を己に求む。
小人は諸を人に求む。
をご紹介しました。
何事も
他人や周り、
環境のせいにするのではなく
言い訳しないで
自分の出来ることをする。
自分を磨き続けるが大切で
分かり易い表現として
「矢印を自分に向ける」
相手に矢印を向けるのではなく
先ずは自分に矢印を向けて
先に自分が変化することが重要だと
書かせていただきました。m(_ _)m
今回は前回の続きです。(^^)
伊藤仁斎先生の解説には
原因を他人に求めるのではなく、
自分自身に求めて反省するのである。
とあります。
名古屋のSさんは
「反省とは落ち込むことではなく
振り返り省くことだ」
と語り、
失敗して
ただ凹んで落ち込むのではなく、
改善点をひとつでもみつけることが
反省に繋がるとおっしゃいます。
また、
吉川幸次郎先生の解説では
自力本願であれ。
他力本願であってはならぬ。
そうした『論語』の
基本的な思想をよく要約した章である。
とあります。
自力本願と他力本願
よく用いられる表現で、
一般的には
自力本願は
自分の力で成し遂げる
他力本願は
他人の力を借りて成し遂げる
他人任せ
と思われていますが
他力本願の本当の意味は
実際は違うそうです。
僧籍を持っている方から聞いた話として
自力本願の意味はだいたい合っていますが
他力本願の意味は他人の力ではなく
阿弥陀様の力だそうです。
阿弥陀仏の力(他力)によって
救われることを願う(本願)
つまり、
自分の修行や努力ではなく、
仏の慈悲に身をゆだねて救われる
という深い宗教的概念です。(ー_ー)
ここでいう
「他力」は
他人の力ではなく、仏の力。
「本願」は
阿弥陀仏がすべての人を救うという誓い
のことです。
日常会話では
「自分でやらずに人に頼る」
という意味で使われがちですが、
これは本来の意味とは完全に別物です。
誤解が広がった理由として
「他力=他人の力」と誤解されやすい
宗教的背景が一般に知られなくなった
「自分でやらない」という
ニュアンスだけが残った
等々。
その結果、
本来は
“仏の救い”
なのに、
現代では
“他人任せ”
になってしまった
というズレが生じたものと思われます。
「他力本願=他人任せ」
という誤解のせいで、
今では少し怠けているようなイメージを
持たれがちですが、
本来は
深い信仰心と安心感を表す言葉 で
自分の力だけではどうにもならない時、
仏の慈悲に身をゆだねるという姿勢は、
決して怠けではなく、
むしろ 智慧 とも言えます。
”一所懸命”も本来の意味と違い
最近は普通に
”一生懸命”と書かれていることが
多々ありますね。(ー_ー)
勉強不足の私は
”他力本願”の本当の意味を
初めて知りました。
反省と他力本願
知らないことが多いです。(^^)
いつも貴重な学びを与えてくださる
名古屋のSさんに心より感謝いたします。
高徳院の鎌倉大仏
銅造阿弥陀如来坐像はまだ観ていないので
いつか行ってみたいものです。(^^)
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
ありがとうございます。m(_ _)m